※一度HPクラッシュにつき現在再度作成中のページになります。
鹿児島県のウミガメ保護史について、聞き取り調査や文献調査を行いこのページにまとめています。
現在調査中につき、このページは随時更新してきます。
文章中での誤字脱字や口調の変化などもありますが、随時修正していきます。
〜江戸時代
鹿児島県では、ウミガメの卵及びカメの肉を食べる文化が江戸時代以前からあったようです。
故安山登氏は、「古文書に300年前、殿様に卵を献上したとあり...」と記述しており(1988, 安山)、ウミガメの卵を古くから鹿児島県では採取して食べる文化があったと考えられます。
また、南西諸島の方では、かの南島雑話にはかつて鰐が漂着してそれを捕まえて食べたとの記載があり、その味はウミガメに似ていたと書かれています。種子島などの地域でもウミガメはよく獲って食べていたようです。

※原本では海亀と記載されている
明治〜昭和(戦前)
この時代の資料についてはほとんど入手できていません。
当時は鹿児島県各地の海岸で海亀の上陸が多かったため、多くの海岸で海亀の卵はとって食べられていた。
近隣の魚屋でも卵が売られており、当時は鶏卵よりも安く買うことができたそうです。
また、海亀の卵を塩漬けしたものは薬として多くの地域で利用されていたようです。
今のご年配の方々に聞くと、多くの方が海亀の卵を食べたことがあるとその経験を聞くことができます。
人によって海亀の卵は美味しかったとか、美味しくなかったとか、味についてはいろいろな感想があるようです。
昭和(戦後)〜1970年ごろまで
鹿児島県でも同様に戦時中〜直後は食糧不足のため、ウミガメの卵(場合によっては肉も)は貴重なタンパク源として利用されていた。自家消費・販売なども活発に行われていたと思われる。

屋久島では、戦時中に特攻機が一湊地区に不時着し、そのパイロットにウミガメの卵を食べさせて元気をつけさせたという話がある。(ジェーン 屋久島、伝説のアオウミガメ, KYT鹿児島読売テレビ編より)
1976年:県内で初めてウミガメの調査がされる
屋久島の永田浜で、当時大学院生だった菅野氏がウミガメの調査(1976年~1978年)を始める。この時の報告書は、ウミガメニュースレター(日本ウミガメ協議会発行)No.111に掲載されている。
当時、屋久島の永田地区では、永田浜(いなか浜・前浜)でウミガメの卵を獲り、食料として消費していた。2つ浜ごとに卵を獲る権利を入札して決めていた。
菅野氏が調査を行うにあたっては、入札者であった牧一馬氏の協力があって行われた。
1976年の調査の結果、ウミガメの正確な上陸数と産卵数の把握がされ、ウミガメの保護を訴えるにあたって重要なデータとなった。

1977年に菅野氏、大山勇作氏、大牟田幸久氏らが当時の町長の山口一彦氏に陳情し、当時の町会議員の柴鉄生氏などの協力もあって、1978年に永田浜が海亀保護区に指定された。これ以降、永田浜でのウミガメの採卵は行われなくなった。
県内で初めてウミガメ保護区として採卵が行われなくなった事例であった。
(大牟田幸久氏執筆,2013年の屋久島徳洲会病院広報誌,屋久島のうみがめ73 ウミガメ保護四半世紀のあゆみ(1)より)
1981年:吹上でのウミガメ保護の始まり
鹿児島大学生であった秋山友宏氏は、吹上浜でウミガメの卵が採られている現状に対して、「アカウミガメ研究会」を設立し保護を訴え始める。
当時の吹上浜では、昭和の健康ブームに便乗した業者が精力剤として、ウミガメの卵を根こそぎ採取していた。秋山氏の調査では、採取されたウミガメの卵は漁業組合を通して仲買人が大阪方面へ空輸していたそう。当時水揚げ価格は、卵1個=100円ほどとされ(当時の値段、現在の価格では140円ほど?)、一つの産卵巣から100個ほどの卵が手に入るため、一晩で数万円を稼ぐことができた。

秋山氏らアカウミガメ研究会のメンバーは、産卵された卵が採取される前に別の場所へ移植(吹上浜ユースホステルの安山氏が1981年に孵化場を提供)していた。
秋山氏らの活動と懸命な呼びかけにより、県からの要請で1982年からは漁協での水揚げも自粛されるようになったものの、有効な規制策は講じられず、卵の採卵は無法地帯となっていた。

県内でのウミガメ保護を訴える活動
時を同じくして、屋久島で菅野氏のウミガメ調査を手伝った大牟田幸久氏は、県本土でウミガメ保護を訴える活動を行っていた。

幸久氏は、ウミガメについての直筆のレポートを県内各地の小学校などへ配布した。これは、幸久氏がウミガメ保護を訴える中で、ウミガメのことをほとんどの人が知らないため、保護を考えてもらうためにはまずウミガメについて知ることが大切であるとして、作成したものである。
インターネットのない時代で、研究者でもない人が作った資料とは思えない完成度の高い資料である。

鹿児島大学のアカウミガメ研究会(秋山氏ら)と大牟田幸久氏が協力して、
鹿児島県の天文館でウミガメ保護を訴えるビラ配りをおこなった。
幸久氏は浦島太郎の装いで、サンゴで作成したキーホルダーを無料で配っていた。
大牟田幸久氏(個人記録より) 南本新聞(1984年6月12日)より
ウミガメの保護条例に向けて
1985年に吹上町で「海亀保護条例」が制定される。
このころもアカウミガメ研究会の継続的な活動もあり、吹上地区がウミガメの保護条例で守られるようになった。しかし、吹上浜全域ではなくあくまでも吹上町の範囲であり、それ以外での場所では保護されていないという問題があり、県全体での保護条例が必要とされていた。
ウミガメ研究会の苦難
・・・Now Writing・・・
県内でのウミガメ保護の盛り上がり
鹿児島県の磯海水浴場で2年連続してアカウミガメが産卵したことによって、
県内でのウミガメに関する関心が大きくなり、この後のウミガメ保護条例制定の大きな追い風となった。


南日本新聞(左:1987年7月13日, 右1988年7月5日)より
1988年:ウミガメ保護条例が全国で初めて制定される

磯海水浴場に2年連続で上陸したことも受け、保護に対する議論が進み、
1988年6月にウミガメ保護条例が全国で初めて施行された。
ウミガメ